ミルフォード・サウンドのヨーロッパ史

Captain Cook - Milford Sound’s European History

キャプテン・クックが困難な方向転換に恐怖をいだかなければ、細いエントランスを通り抜けたあと少しでミルフォードサウンドのヨーロッパ人の歴史に名を残す事ができたでしょう。

ミルフォードサウンドの発見は初め、不可能と思われていましたが、偉大な探検家キャプテン・クックはミルフォードサウンドの入り口を1回だけではなく2回くぐりました。そして最終的にはミルフォード・ヘーブン出身のウェールズ人探検家、ジョン・グロノが訪れる事になります。彼はその美しさに圧倒され、彼の出身地にちなんで名づけ、それ以来何万人もの人々が訪れてくるようになりました。

ジョン・グロノとミルフォード・サウンド、到達したヨーロッパ人

ジョン・グロノの到達はヨーロッパ人の探検が盛んになり始めた1812年でありました。祖国では旧弊な社会構造が保守主義を強化している中、グロノは世界に隠れた宝探し等上流階級ならではの趣味を楽しんでいました。ミルフォード・サウンドはその中の一つであり、その後、自由を求めてやってくる探検家達が沢山訪れるようになりました。グロノの探検から数十年後、新たなウェールズ人がミルフォード・サウンドを訪れました。ジョン・ロート・ストークスはミルフォード・ヘブンの名前をミルフォード・サウンドに改名しました。ストークスは19世紀の風景画を席巻した大型船、HMSアケロンに乗ってその土地にたどり着きました。彼は彼と仲間のミルフォード・サウンド探索を詳細にに記録しましたがマオリ族の戦闘用カヌーについては一切言及されていませんでした。つまり、俗説とは異なり、アケロンは原住民のマオリ族に挑戦されなかったのです。

ミルフォード・サウンドの世界的な評判

ミルフォード・サウンドの美しさは瞬く間に世界中に噂されるようになりました。探検家達が母国へ帰国しては、他旅行家達にフィヨルドランドのこの世の物とは思えない美しさ、深いクレバスや穏やかな水等の話をしていました。19世紀の間、この地域の探求は盛んに行われ、1888年にはマッキノンパスが発見されました。ゆっくりと、しかし確かにミルフォード・トラックが作り上げられていき、後々何千ものハイカー達が楽しめる物になったのです。ヨーロッパ人探検家達はこの地域の自然の美を略奪しているかのように見えました。アザラシ狩りが旅の目的として人気でしたが、これは残りのアザラシがいなくなった後約19世紀半ばにクジラ狩りにかわりました。ミルフォードサウンド保護はその美の保護する必要性が認識された20世紀になってから優先されるようになりました。保護をサポートしたヨーロッパ人旅行者の一人はスコットランド生まれのドナルド・サザーランドでした。彼は数年間、イタリア中を仕事で旅をしていましたが、ミルフォードサウンドに訪問した後、その地に留まる事を決め、ミルフォードサウンドの隠者として知られるようになりました。彼のお供には腹心となって隅から隅までの探検のお手伝いをした彼の小型犬、ジョン・オグローツがついてきました。ミルフォード最初のホテルはミルフォードの母として知られるエリザベス・サムエルによって1890年に創立されました。彼女がやってきたのは探検家達がミルフォード・サウンドは鉱業土地ではないと気づき始めた時期であり、その為のもとの自然がそのままの美しさを保てるようになっていました。世界的に旅行業が発展し始めると、より便利な交通手段が必要となりました。グロノやストークスが使った船での交通手段は既に古く、飛行での旅行がより人気となりました。ミルフォード・サウンドや他フィヨルド地域を訪問したい世界の期待に応えて、陸路として1955年ホーマー・トンネルが作られました。こうしてフィヨルドランドの鑑賞時代が始まりました。

Book Now Book Now